【アメリカナイズされたバー(マニラ)】
昨日は、わが愛するマロロスを舞台にした、
フィリピン革命についてお伝えしました。
引き続き、歴史の話を進めます。
カテゴリーは以下の5時代でしたね。
(1)スペイン統治前
(2)スペイン統治時代
(3)フィリピン革命
(4)アメリカ統治時代(←今回はココ)
(5)日本占領期
今回は【アメリカ統治時代】について
考察して参りましょう!
フィリピンが直近で最も影響を受けた国
私が初めてフィリピンに渡航したのは
2010年12月、いまから3年少し前のことです。
当時宿泊施設に勤めていて、
かなり時間のない中でのリサーチで、
私の中のマニラのイメージは
「かなり危ない街」
というものでした。
確かに普通の日本人が
観光に行く町という感覚では
なかったですね。
私も今でもどうにか続いている
「相方に会う」という目的がなかったら、
仕事でもない限り、行ってはいなかった
と思います。
ちょっとフィリピンのイメージの話から
外れてしまいましたが、
実際に訪問してみると・・・
やっぱり怖かったです、最初は(汗)
ただし、一つだけ感じたことが
ありました。
それが
「マニラってアメリカに雰囲気が似ているな」
ってことです。
それもそのはず、
フィリピンの長きにわたる他国支配の中でも、
直近で影響を受けているのが、まさに
【アメリカ合衆国】
だったのですから。
実際に盛り場の雰囲気などは、
かなりアメリカナイズされてますし、
マニラの街中にはアメリカ人や、
アメリカ人好みのバーも多いです。
アメリカ支配がフィリピンに残したもの
そろそろ歴史の話に入りましょう(笑)
アメリカのフィリピン支配は
スペインからアメリカに委譲のあった
1898年12月のパリ講和条約締結時
とする見方がありますが、
フィリピン人の認識では、
早くても1901年7月のアメリカが
フィリピン全土を軍政下においた時期、
通常は1902年7月にアメリカ大統領
ルーズベルトが、フィリピン諸島における
平定作戦の完了を宣言した期間から
ということになるようです。
支配の一時中断は日本軍が
フィリピンに侵攻をした1941年12月から
終わりアメリカ軍が、日本軍から
マニラを奪還した1945年3月まで
と言っていいでしょう。
で、そのアメリカの支配ポリシーは
【恩恵的同化】
でした。
平たく言えば、アメリカ的なものの見方を
フィリピン人になじませるというもの。
具体的には、教育や政治システムなどが
その「見方」にあたります。
そして、太平洋戦争の間、日本の占領下
だった時期を除いては、
まさに同化策をとってきたわけです。
これって、日本がアメリカに取られてきた
政策に、かなり似ていますよね。
ただそこで気になるのが、
「なぜ日本人には英語教育を
施さなかったか?」
ということ。
このあたりについても
非常に興味深いですね。
フィリピンでいろいろなことを
手掛けていくに当たって、
そのあたりの歴史の理解が、
奥行きの深いビジネスを生みそうな
気がしてなりません。
ビジネスの前に2年くらい、
フィリピンの大学に通いたいです。
人間「学習欲」というものが
かなり強いですからね。
それを可能にするためにも、
いまの仕事で仕組みを作っていきます!