本日2016年1月26日~30日の4泊5日、天皇陛下がフィリピンをご訪問されます。
主な目的はフィリピンと日本の国交60年を記念して両国の国際親善に努められるのと、
もう一つは第二次世界大戦(太平洋戦争)で没したフィリピン、日本両国の兵士を慰霊することです。きっとアメリカ兵も含めてでしょう。
天皇皇后両陛下は実は昭和37年(1956年)に一度皇太子ご夫妻としてフィリピンをご訪問されていますので、今回のフィリピンご訪問は実に54年ぶりということです。
当時は天皇陛下が23歳、皇后陛下が22歳という若さだったんですね。
さて、歓迎式典や晩餐会などはマラカニアン宮殿などで行われるのですが、今回、二つの慰霊碑を訪れることになっています。
ご訪問予定の慰霊碑の場所について調べてみましたのでシェアしたいと思います。
出典:産経ニュース(http://www.sankei.com/)
フィリピン無名戦士の墓
現地ではリビガン・ナン・マガ・バヤニと呼ばれており、場所は新興開発地であるフォートボニファシオの南側にあります。
マニラ首都圏に位置しており、フィリピン最大のビジネス街であるマカティからは空いていればタクシーで20分弱の距離です。
渋滞の状況によっては1時間位かかることもあると思いますが。
フォートボニファシオについては過去の記事を参考にしてください。
設置は1947年で当時の名称は共和国記念墓地といったそうです。1954年に現在の名称に変更されています。
碑文には
「I do not know the dignity of his birth but I do know the
glory of his death.」(私は彼の生誕の尊厳は知らないが、その死の栄光は知っている。)
との文字が刻まれています。(官邸HPより)
比島戦没者の碑
出典:厚生労働省HPより
場所はカラバルソン地区に属するラグナ州カリラヤにあります。
マニラ首都圏のパサイ地区などからバスが出ていて、マニラ首都圏から見ると南東に位置します。
マニラからカリラヤの直線方向にはバイ湖という大きな湖がありますがバスはおそらく交通網が発達した湖を南側を回る本数のほうが多いのではないかと思います。
時間的には、南の方に伸びるバタンガスまでがパサイから2時間程度ですがバタンガス方面は高速道路がほぼ全線使えるのに対して、ランバンへはカランバからは一般道を走ることになります。
目測ですが、パサイ地区から直通で行けるならおそらく同じく2時間くらいか、3時間あれば着けるでしょう。
※詳しい状況を知っていましたら下のコメントから教えてくださると助かります!
建立は昭和48年(1973年)で、設計は谷口吉郎氏がされたということです。石材は茨城県産の白い御影石と、福島県産の黒い御影石で出来ています。
碑文はありません。
マニラ周辺の戦争関連遺跡
以上が今回天皇皇后両陛下がご訪問される慰霊碑ですが、フィリピンにはほかにも様々な戦争関連遺跡があります。
例えば、マニラの中心部には日本軍司令部が置かれたというイントラムスが。
激戦地となったコレヒドール島へはマニラからは日帰りツアーがあります。
マニラから少し南下した位置には、歌手渡邉はま子「モンテンルパの夜は更けて」という唄を歌い日本人捕虜を励ましたと言われるモンテンルパ刑務所があります。
そしてマニラから北上すればパンパンガ州マバラカット(アンヘレス隣接)に、なんと最初の神風特攻隊が出撃したというマバラカット飛行場(神風飛行場)があります。
神風特攻隊はフィリピンがはじめての出撃地だったんですね。私は高校の修学旅行と大学を卒業する時に鹿児島県の知覧特攻平和会館に足を運びましたが、まだ青年ながら涙した記憶があります。
さて、私は2010年12月にはじめてフィリピンを訪れましたが、今まで十数回のフィリピン渡航で先の戦争がらみでフィリピン人から反日感情を受けたことはただの一度もありません。
確かにフィリピン人特有のだらしなさなどもあるにはあるのですが、フィリピン人には日本人にはないホスピタリティがあるのも事実です。
私が少し気持ちが塞いでいた時にフィリピン人に励まされてきた私にとってフィリピンは第二の故郷です。
なので今後ともフィリピンとフィリピン人とお付き合いをしていきたいと考えています。
先の大戦では一時的に敵対しましたし、フィリピン人は100万人、日本人は50万人もの死者を出したとも言われています。
そのような犠牲を胸に秘めつつも、私自身、両国の文化的、経済的交流に少しでも役立てたらと願ってやまない次第です。
そして、定期的に上記のような戦争遺跡を訪れ日本、フィリピン両国の戦死者に今の生活があることを感謝したいと思います。
もし上記のスポットを訪れたとしたらコメントくださいね。